08.12.2006
ラヴアンドピース
6月までの勤務先の退社については3月半ばに決めました。
辞めるにいたるほどの思いをしたのか、
いいことは何もなかったのか、
そういう問いかけに対してきちんと答える場を持つことがありませんでした。
でも、最後に胸に残ったのは
いままで楽しかった、どうもありがとう
という思いのみであり、これを伝えたいと思いました。
また、ウサギくんとわたしをめぐる「終わり」と「始まり」
それらにいたるまでを周囲にきちんとそのたび報告することができず、
でも足あとは4こが並んで光のある方向にむかってついていることは
伝えたいと思いました。

このふたつの思いを動機として、期間限定と決めて始めた「らびっと日記」。
日々刻々と変わる「思い」の形・色・手触り、
正確に、すべて表現することはできなかったけれど
更新はこれが最後です。
快速らぱん号が今日の午後250km先に向けて出発します。
ハンドルを握るは、ウサギくん。
助手席に、わたし。
後部座席に、わたしの荷物。
「らび日」URLをわたしから送られ、またはわかさん経由で
ここを訪れて読んでくださったみなさん、
そしてなにかの縁でここにたどり着いたわたしの知らないみなさん、
どうもありがとう。
次はあなたの日記で、
もしかしたらわたしの「2冊目の」日記で?
かならずどこかでまたお会いしましょう。
ラヴアンドピース。
辞めるにいたるほどの思いをしたのか、
いいことは何もなかったのか、
そういう問いかけに対してきちんと答える場を持つことがありませんでした。
でも、最後に胸に残ったのは
いままで楽しかった、どうもありがとう
という思いのみであり、これを伝えたいと思いました。
また、ウサギくんとわたしをめぐる「終わり」と「始まり」
それらにいたるまでを周囲にきちんとそのたび報告することができず、
でも足あとは4こが並んで光のある方向にむかってついていることは
伝えたいと思いました。

このふたつの思いを動機として、期間限定と決めて始めた「らびっと日記」。
日々刻々と変わる「思い」の形・色・手触り、
正確に、すべて表現することはできなかったけれど
更新はこれが最後です。
快速らぱん号が今日の午後250km先に向けて出発します。
ハンドルを握るは、ウサギくん。
助手席に、わたし。
後部座席に、わたしの荷物。
「らび日」URLをわたしから送られ、またはわかさん経由で
ここを訪れて読んでくださったみなさん、
そしてなにかの縁でここにたどり着いたわたしの知らないみなさん、
どうもありがとう。
次はあなたの日記で、
もしかしたらわたしの「2冊目の」日記で?
かならずどこかでまたお会いしましょう。
ラヴアンドピース。
08.12.2006
練習の朝
夕べは山の会の仲間がお祝いの宴会を開いてくれた。
わたしの上田での生活を支えていてくれた山の会のみんなに
祝ってもらうことは、何よりの幸せであって感慨深いものがあった。
山の会のみんなに対しては
「ありがとう」では足りなくて
「さよなら」は違う気がして、
さっきからキーボードを打っては消す練習をしつづけているかのようだ。
もうやーめた、
退会するわけではないのだから。
と、巧いことばがでてこない自分を楽にするためだけにここで終える。
わたしの上田での生活を支えていてくれた山の会のみんなに
祝ってもらうことは、何よりの幸せであって感慨深いものがあった。
山の会のみんなに対しては
「ありがとう」では足りなくて
「さよなら」は違う気がして、
さっきからキーボードを打っては消す練習をしつづけているかのようだ。
もうやーめた、
退会するわけではないのだから。
と、巧いことばがでてこない自分を楽にするためだけにここで終える。
08.11.2006
やっと
やっとこの「らび日」に家族のことを書いた。
おもに友人たちに向けて書こうと決めスタートしたこの日記だが
家族に関しての話題がなかったわけではない。
書く気がなかったわけでもない。
わたしの持つ力では家族について表すことが難しかった。
とくに会社を辞めて以降、頭の中でことばをかき集めては推敲する毎日だった。
それは日記の話題探しというのではなくて、
家族への思いの整理と、
新たなスタートへの準備のための作業だ。
この作業によってわたしはまともな大人に近づいていくのかと思ってもいたが
どちらかというと子どものころの気持ちにかえっている。
それも3歳ごろまで、戻っている。
なんの屈託もなく「おかあさん」と呼ぶあの心持ちで
母の横に座って朝食のパンをかじっていたりする。
おもに友人たちに向けて書こうと決めスタートしたこの日記だが
家族に関しての話題がなかったわけではない。
書く気がなかったわけでもない。
わたしの持つ力では家族について表すことが難しかった。
とくに会社を辞めて以降、頭の中でことばをかき集めては推敲する毎日だった。
それは日記の話題探しというのではなくて、
家族への思いの整理と、
新たなスタートへの準備のための作業だ。
この作業によってわたしはまともな大人に近づいていくのかと思ってもいたが
どちらかというと子どものころの気持ちにかえっている。
それも3歳ごろまで、戻っている。
なんの屈託もなく「おかあさん」と呼ぶあの心持ちで
母の横に座って朝食のパンをかじっていたりする。
08.10.2006
母からわたしへ、わたしから母へ
おととしの12月、レントゲンで肺に影が見つかった母は、まずわたしの兄に相談した。
「家族みんなで力をあわせて治療に取り組もう」という兄に対して母は
「らぱんには黙っていて」とお願いしたのだそうだ。
そんなこと言ったら、あの子は参ってしまう。
あそこまで元気になったのに。
7年前、何もかもが八方塞がりのような気がして東京から帰ってきた。
それからしばらくは冴えない日がつづいたが、
3年前から勤め始めた会社はおもいのほか楽しかった。
何年かかけて、ゆっくり浮かび上がってきた感があった。
そんなわたしに母は自分が肺ガンのおそれがあるとはとても言えないと
思ったのだろう。
その後続く入院・手術のときはどんな嘘をつくつもりだったのだろう。
兄は「らぱんはもう大丈夫だ」と母に言ったという。
「話がある。近くまで来ているんだ」と玄関先までわたしを呼び出し、ぐるぐると車で町内を
回りながら説明する兄のことばをわたしは「うん、うん」と聞いた。
勉強のにがてな子どもが、先生の説明に何を質問すればいいかわからずただうなずく
しかないのと一緒だった。
その日から今日まで、母が肺ガンだからということで泣いたりすることはなかった。
でも、「らぱんには黙っていてほしい」と言った当時の母、
そして仕事上転勤のあるウサギくんとの結婚を決めたわたしに「らぱんがお嫁に行って
すぐに遠くへ転勤になったりしたら、そのままお別れになっちゃうのかも」と最近つぶやいた母、
胸のうちにあるわたしへの変わらぬ気遣いに思いを馳せた今日、
わたしは1年と7ヶ月分の涙を流した。
これからのしたくをするために一人で外出した帰りの車の中で。
このわたしの思いを伝える相手がいまはいない。
だからこうして書いておく。
「家族みんなで力をあわせて治療に取り組もう」という兄に対して母は
「らぱんには黙っていて」とお願いしたのだそうだ。
そんなこと言ったら、あの子は参ってしまう。
あそこまで元気になったのに。
7年前、何もかもが八方塞がりのような気がして東京から帰ってきた。
それからしばらくは冴えない日がつづいたが、
3年前から勤め始めた会社はおもいのほか楽しかった。
何年かかけて、ゆっくり浮かび上がってきた感があった。
そんなわたしに母は自分が肺ガンのおそれがあるとはとても言えないと
思ったのだろう。
その後続く入院・手術のときはどんな嘘をつくつもりだったのだろう。
兄は「らぱんはもう大丈夫だ」と母に言ったという。
「話がある。近くまで来ているんだ」と玄関先までわたしを呼び出し、ぐるぐると車で町内を
回りながら説明する兄のことばをわたしは「うん、うん」と聞いた。
勉強のにがてな子どもが、先生の説明に何を質問すればいいかわからずただうなずく
しかないのと一緒だった。
その日から今日まで、母が肺ガンだからということで泣いたりすることはなかった。
でも、「らぱんには黙っていてほしい」と言った当時の母、
そして仕事上転勤のあるウサギくんとの結婚を決めたわたしに「らぱんがお嫁に行って
すぐに遠くへ転勤になったりしたら、そのままお別れになっちゃうのかも」と最近つぶやいた母、
胸のうちにあるわたしへの変わらぬ気遣いに思いを馳せた今日、
わたしは1年と7ヶ月分の涙を流した。
これからのしたくをするために一人で外出した帰りの車の中で。
このわたしの思いを伝える相手がいまはいない。
だからこうして書いておく。

